ようこそ「Tokyo Chitlin' Circuit」へ!


ファンクバンドFREEFUNKと音楽ライター池上尚志が共同で主催をするライブイベント「Tokyo Chitlin' Circuit」にようこそ!
Funk/Soul/Blues/Jazzなどをルーツミュージックに活躍するアーティストを広く紹介していきます。

2012年8月20日月曜日

JAYE公山インタビュー

 関西にはブルースやソウルの伝説的なミュージシャンが多い。知る人ぞ知るといえば簡単だが、地元のライヴハウスなどを中心に、長きに亘って地道に活動してきたその実力は直に触れた者にしか分からない。そして、そういった人たちの活動は、関東では意外と知られていない。
 その中の1つにHUMAN SOULがいる。関西のミュージシャンなら知らない人はいないだろう。しかし、残念ながら関東ではその凄さがきちんと理解されているとはいい難い。清水興のベースを中心に、ハスキーでヘヴィーなJAYE公山と軽やかなファルセット使いのシルキー藤野のツインリードが華やかに彩る大所帯のソウルバンド。音楽的にはブラコン~ファンクあたりのサウンドだが、歌謡曲的要素を一切排してメジャーデビューしたソウルバンドは日本では彼らが最初だろう。

 さて、そのJAYE公山が今回のゲストである。日本人でこれだけディープに歌えるシンガーを僕は他に知らない。その声を活かしてゴスペルからソウル/ファンクまでを歌い、シンガーとしてだけでなく、自ら数多くのイベントも仕切ってきた、日本のブラックミュージック・シーンのキーパーソンの1人だ。ゴスペラーズ周辺でもよくゲスト参加やバックコーラスなどをしているので、知っている人も多いだろう。確かな歌唱力に加え、関西人ならではの笑いを取りまくるトーク、必ず「どこで買ってきたの?」と訊かれる衣装と、観客の心をガッチリ掴むステージングは、関西シーンのディープさを教えてくれると共に、日本のソウル・ミュージックもここまできたかと思わせるレベルの高さを見せてくれる。

 今回のインタビュー、意外と知られていないこれまでのキャリアを振り返っていただこうと思ったのだが、JAYEさんが関西在住ということもありなかなかタイミングが合わず、結局、某ライヴの打ち上げの席での強行インタビューとなった。が、始めてすぐに次の店に移動ということになり、残念ながら10分程度でインタビューは終了。もっと聞きたいことがたくさんあったのだが、この続きはまた機会を見てやりたいと思う。なお、JAYEさんの発言は関西弁のイントネーションで読んでくださいね。

TEXT:池上尚志




ーー今日はJAYEさんのキャリアを振り返っていただこうと思うのですが、まず、音楽をやるようになったきっかけから教えてください。
「13~14歳の時にカーペンターズとかエルトン・ジョンとか、ビートルズ聴いて、自分でギター弾きながら歌ったのがきっかけなんですよ」

ーー59年生まれですよね。
「そうです。そうです。それで、アメリカのポップスが好きなんやなぁってのに気がついて、ブルースも好きなんやってことに気がついて、それが高校1年生くらいですかねぇ。中学2年くらいのときにドラム叩いてたんですよ。プロのデビューは16(歳)くらいの時にドラマーとしてデビューしてて。17~18の時にヴォーカルに転向して、そんときはもうブルースが好きやったんです。ブルースの流れにゴスペルやリズム&ブルースがある。ブルースから派生する音楽ね。それに勘づいて、いちばん最初はBBキングとかアルバート・キングとかTボーン・ウォーカーとかそういうの聴いてたんですけど、オーティス・レディングを聴くようになって、オーティス・レディングからサム・クック知って、サム・クックからゴスペル知ったんですよ」

ーーそれは10代の頃ですか?
「18ぐらいですかね」

ーー今の感覚だと早いですよね。
「めちゃめちゃ早いでしょ」

ーー当時でも周りにはいなかったですか?
「まったくいなかったです。自分がゴスペルを聴き始めたのが18ぐらいのときやったんですけど、(当時は)ゴスペルって言葉が(知られて)なかったんですよ。だから、そういうの扱ってる割とディープなレコードショップで買うたりとか、そういうレコード集めてる人と文通して交換したりとか、アメリカ行ってレコード買ったりとか、そういうことしてました。すっごい苦労しました。自分の好きな音楽のソースを集めるのに」

ーーそこからHUMAN SOULまではどんな活動をしたのですか?
「ファンクバンドを19~20歳くらいのときからやってて、10年くらい小ちゃいライヴハウスで歌ったりイベント自分でやったりして、ファンク系の音楽をずっとやってました。ファンクがメインだったんですよ。24くらいのときにシルキー藤野と知り合って、それから清水興と知り合って。ちょうど清水興がNANIWA EXPRESSを一度解散した時で、それでSOUL EXPRESSっていうソウルをやるバンドをやれへんか言われて誘われて、歌いに行ったんがきっかけでソウルをやるようになった。で、東原力也が抜けてジミ橋爪がはいってHUMAN SOULになったんです。それが1987年とか8年とかそんくらいですかね。27~8くらい」

ーーその頃、いちばん影響された人は誰ですか?
「あ~、キャメオとか、オゾンとか。オゾンていうモータウンから出てるファンクバンドがあるんすよ。すっごいディープなファンクバンドで、あんまり売れてないんですけど。(キャメオは)ちょうど「キャメオシス」出たときくらい。あとはBRICK、ZOOMとか、L.A.Connectionとか、あんまり人が聴かないような(笑)相当ディープなレコードをアメリカ行って探してきたり、人から譲ってもらったり、ファンク好きな人と交換したりしてやってましたよ」

ーーシンガーとして影響受けた人は?
「それはね、やっぱレイクサイドのマーク・ウッズ、それから、ザップのボビー・グローヴァー」

ーー珍しいですね。
「めちゃくちゃ珍しいでしょうねぇ。でも、いちばん受けたのはサム・クックです」

ーーアポロ・シアター(のアマチュア・ナイト)はHUMAN SOULで出たんですか?
「そうですそうです。シミちゃん(清水興)とシルキーとおれと3人で出たんです。おれとシルキーが歌でシミちゃんコーラスでみたいな感じで3人で出ました。向こうのバンドが演奏してくれて。歌った曲は「Me And Mrs Jones」で、向こうで言うたらすごく有名な曲だから、もう目つぶっても演奏できるくらいの曲なんで」

ーーそれって逆に恐いですよね。
「ま、確かに。外国人が日本に来て、それこそ「銀座の恋の物語」歌うようなもんですからね」

ーーそれでグランプリを取ったんですよね。その時の反応ってどんな感じだったんですか?スタンディング・オベーション?
「そうでした。凄かったですけど、アポロ・シアターに出れたっていうことのね、そのことの方が自分にとっては価値があることやったんで。出してもらえたってことは嬉しかったです」

ーーアポロ・シアターはどうやって出るんですか?
「オーディションを申し込む用紙があって、それで申し込んで、月曜日の朝10時からアポロシアターの3ブロック先にブラックカルチャーセンターゆうのがあって、そこでオーディション受けられるんすよ。まぁ、ほとんど落ちますけどね。もう、朝行ったら100組くらい並んでましたけどね」

ーー新人の登竜門ですもんね。
「そうです。特に自分らが出た時は89年って、日本人がハーレムに近づけない雰囲気でしたから。治安悪かったんで。道歩いてたら子供がバールで車のキーをこじ開けたりしてハンドル盗んだりしてたり、10歳くらいの子供が拳銃持ってたりするんすよね。だから、とてもじゃないけど日本人は近づけなくて、80年代ってアポロシアターに出た日本人ってほとんどいなかったんですよね。その頃はね、みんな(アポロ・シアターのアマチュア・ナイトを)あんまり知らなかったんで、後からまぁちょっと話題にはなりましたけど」

ーーニューヨークの市長がジュリアーニ(凶悪犯罪を一掃して、ニューヨークの治安改善を進めた)になる前ですね。
「そうそう。すっごい治安悪かったですよ。恐かったですよ。だけど、自分たちはアポロシアター知ってたんで、やっぱり出たいなぁゆうの前から思ってたんで。ほんとにそれこそ記念碑的な思いで行ったんで、そこでグランプリ取ろうとかそんなの一切考えてなかって。取ったら取ったでアメリカのレコード会社からスカウトが9社くらい来て。アトランティックとかRCAとか来ました」

ーーその話はまとまらなかっんですか?
「いや、あのね、条件がすごかったんですよ。9割向こうで1割こっちみたいな、タコ部屋みたいな契約条件で。でも、最初はみんなそんなんなんですよ。当時、ソウル系でアメリカで日本人が演奏して歌って受け入れられるなんて誰も想像してないし、でも自分たちは受けたからやれるかなぁって思ったんですけど、日本でデビューが決まってたし、自分たちは日本でやった方がいいって分かってたんで」



 と、これからHUMAN SOULからREAL BLOOD、ゴスペルでの活動などについて聞こうと思っていたら、次の店に移動することになってしまった。ちょうど面白い話になってきたところだったので残念至極。
 以前、「ORITO TRIBUTE」の時も「I'm Yours」なんていうベタベタなサザンソウルのバラードを嬉々として歌っていたJAYEさんだけに、どうしてもサザンソウルやゴスペルなどのディープな歌ものが得意という印象があるのだが、ファンク系からの影響はなかなか興味深かった。今回FREEFUNKというファンクバンドと共演するにあたって、いいヒントになるだろう。

 日本人が本格的にソウル・ミュージックをやることがまだ無理だと思われていた時代に、現在でも他の人が成し遂げられないような金字塔を打ち立ててしまった人。ソウルやゴスペルが好きな人、特に自分で歌っている人ならばJAYEさんのヴォーカルやステージングは是非とも一度体験してほしいと思う。



08/26/2012 (Sun) 高円寺Jirokichi
Tokyo Chitlin' Circuit & Soul Togetherness Joint
JAYE & FREEFUNK

<charge>
前売 3500yen + オーダー
当日 4000yen + オーダー

<time>
open 18:30 / start 19:30

<出演>
■JAYE公山(vo)

■Sista Mei-Me (vo)

■FREEFUNK
艦長 (vo&g) ウラッチ(ds) SAMMY (key&vo) 遊佐真悟(b)
タイラー(t.sax) シバケン(b.sax) ESP (tp)
Momoka (vo) コーヘイ(vo)

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